作品概要

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サンパウロ市から西に500キロの場所に広がる広大な農業地帯に、ひっそりと存在する小集落グラミーニャ。かつて、この地域は原生林に覆われていました。サンパウロ州のコーヒー農園で働くためにやって来たイタリア、スペイン、そして日本からの移民は、自分たちの土地を求めて密林を伐採しながら西へと進み、この土地に辿り着きました。『時折 – グラミーニャの日系家族』は1927年から1934年にかけて日本からブラジルに移住し、グラミーニャに根を張った日系家族の軌跡を辿るドキュメンタリー映画です。

柳井良栄さん(旧姓:佐藤良栄さん)は綿花農園で季節労働者として数年働いた後、1936年に両親と兄、四人の姉と共にグラミーニャに入植。そこで家族は自分たちの土地を持ち、自作農となりました。  佐藤家の五人姉妹が柳井家、吉見家、布野家、大久保家、杉田家に嫁いだことによって、グラミーニャの日系家族は全員が親戚関係となります。今日、グラミーニャにはこれら家族の面々が15人ほど生活しています。現在89歳の良栄さんもその一人で、家族の農園を運営する息子のイサムさんと孫のアレキシャンドル・タモツさんの家族と共に暮らしています。アレキシャンドル・タモツさんは日本で20年近く働き、最近になって二人の子供を連れてブラジルに戻ってきました。妻と二人の子供を日本に残しての帰国です。

アレキシャンドル・タモツさんの例は、グラミーニャでは珍しいことではありません。1990年初頭、悪化するブラジル経済を理由に、数多くの日系ブラジル人が出稼ぎ労働者として日本で働くことを決意。グラミーニャからも大量の人口が流出しました。2008年、今度は日本経済の低迷によって労働環境が厳しくなり、彼らの多くが日本を後にしてブラジルへと向かったのです。

ブラジル移住から80余年、歴史に翻弄されるかのように、グラミーニャの日系家族は何度もブラジルと日本を行き来します。なかでも5回の行き来は、二つの国の政治・経済の重要な変わり目の時期と重なっています。『時折 – グラミーニャの日系家族』はその5回の行き来を追い、ブラジルと日本に住む関係者の  インタビュー、歴史資料、個人が保管する写真や手紙を元に、旅の様子と両国の当時の状況を浮き彫りにします。両国の歴史の変わり目は、グラミーニャの日系家族の日常生活にも直に影響を及ぼしました。人生における様々な選択や決断を下し、人生の舵を新たな方向にきる度に、彼らのアイデンティティーの輪郭は少しずつ変化していきます。

彼らの日常をつぶさに観察すると、二つの国の空間・文化・生活習慣が確かに共存し、並行していることがわかります。しかし、歴史に翻弄されつつも自分たちの人生を逞しく生き抜くうえで、グラミーニャの日系家族は何を支えとし、どこを拠りどころとしていたのでしょうか。膨大な歴史資料を元に、「集合的記憶」(公式な歴史)と「個人的記憶」(個人の思い出)を対照させながら、『時折 – グラミーニャの日系家族』は「成功した移民」としてブラジル社会から祝福された彼らの物語を紡いでいきます。

「移民の世紀」の代名詞を持つ21世紀。何世紀にも渡って語られているアイデンティティーや異なる民族の融和という主題は、今、ますます注目されています。この主題は、グローバリゼーションが進む世界で、今後ますます重要になっていくでしょう。グラミーニャの日系家族が歴史に名を残すことはないかもしれません。しかし、彼らの辿ってきた道筋はこの主題と密接に関係しており、彼らの物語を追うことはこの主題を問う新たな視点と人類の可能性を与えてくれると信じて止みません。

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