登場人物:グラミーニャの日系家族

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吉見家

ブラジル到着日:1932年8月25日

移民船:ぶえのすあいれす丸

吉見賢一氏(1913〜1969)は愛知県で誕生した。1932年、両親と幼い妹二人を残して19歳でブラジルへ移住。それから36年後に日本への帰省を果たした。日本からグラミーニャへ戻った一年後、不慮の事故によって自宅の前で死去。


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佐藤家

ブラジル到着日:1929年3月19日

移民船:びんご丸

佐藤茂一、松代夫妻は岡山県出身の百姓で、1929年に家族一家でブラジルに移住した。子供はミツエ、ツヤコ、ヨシエ、ハルコ、キミエの娘五人に長男のシゲカツの六人。佐藤家の五女がそれぞれ嫁いだことによって、グラミーニャの日本人家族は全員が親戚という関係になった。現在でもグラミーニャの日系コミュニティーは、ほぼ全員が従兄弟や近い親戚関係にある。


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柳井家

ブラジル到着日:1927年10月3日

移民船:もんてびでを丸

柳井勝眞(1892-1909)、ハツヨ夫妻は、出身地の福島県の久之浜で百姓をしていたが、後に同じ土地で様々な商売を経た後、三人の子供と勝眞氏の弟の盛氏と共にブラジルに移住した。


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大久保家

初回のブラジル到着日:1928年9月16日 / 移民船:まにら丸

二階目のブラジル到着日:1932年2月8日 / 移民船:らぷらた丸

1898年に茨城県で産まれた大久保長一氏は、地元で梨園と畑を餅、百姓をしていた。1928年、妻と妻の弟妹を連れてブラジルに移住。1931年に長男が誕生すると、日本に残してきた親と兄弟をブラジルに呼び寄せた。


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杉田家

ブラジル到着日:1928年1月16日

移民船:若狭丸

杉田勝治郎氏は妻に先立たれ、四人の子供と暮らしていた。日露戦争での活躍が表彰された1928年、子供達を連れてのブラジル行きを決意。出発までは北海道で百姓をしていた。当時、ブラジル政府は移民受け入れの条件として、家長として移民する者は妻帯していることを挙げていた。そのため、息子の杉田ヨシトキ氏は出発前夜に結婚したという。サントス港に到着するや否や、新婚夫婦は離婚した。


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布野家

ブラジル到着日:1934年2月22日

移民船:まにら丸

布野トウサク氏はブラジルに移住するまで岡山県のある町で郵便局に勤務していた。それ以前は下方(現在の真庭市)で百姓をしていたという。「ブラジルでは金を鋤(すき)で集めることができる」という噂を信じ込み、弟の布野ハジメ氏とブラジル行きを決意。日本を発って4年後、33歳の若さで、肺炎で死亡した。当時、多くの日本人移民がトウサク氏と同じような運命をたどった。



 
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